No.083 明 may/庄田次郎“WADO”
1,明の明星 phosphor
作曲・WADO
2,宵の明星 vesper
作曲・WADO
3,黎明 the dawn of new age
作曲・WADO
4,ふるさと furusato
作曲・岡野貞一 /作詞・高野辰之
◆プロフィール
庄田次郎 SHODA Jiro(Tp,Sax,Cl,うた,おもちゃ,鉦)
1949年、静岡県下田市生まれ。
1968年、法政大学ニューオレンジオーケストラに参加。
1969年、法政大学jazz研究会入部、在学時より原寮(p)と新宿ニュージャズホールなどで活躍、その後、阿部薫、豊住芳三郎、高木元輝らと共演。
74年、ニュージャズ・シンジケートを原寮とともに結成、個人自由参加原則のもと、法政大学学生会館にて、月1回のべ40数回のコンサートを開催。その他、京大西武講堂「幻野祭」、インスピレーション&パワー、ぴあ展、郡山ニュージャズ集団によるコンサートに参加。またこの年、3枚組レコードを製作。
77年、下田にジャズ喫茶“チェシャーキャット”(Cheshire Cat)を開店。
79~80年、富樫雅彦オーケストラに参加。この頃よりモヒカンスタイル開始。
85年、「九州一周・一人吹き歩き」「東北方面吹き歩き」の2つのツアーによる全国行脚。また池袋西部スタジオ200にて「シンジケートVSクールベルガー(vib,p)コンサート」を開催。
86~87年、全米吹き歩きツアー、ワシントンでクリフォードジョーダンらと共演。ニューヨークでは8ヶ月間ストリートやライブハウスで吹きまくる。この頃、ドン・チェリー、エド・ブラックウェル、アーチ・シェップ、サン・ラ、ジョン・ゾーンらに出逢う。
91年、ニューヨーク~メキシコ・ツアーを敢行、ウエストエンドカフェでのコンサート。ニッティング・ファクトリーにてzane musseyなどと共演。メキシコではティオティワカン大ピラミッド頂上にて演奏。この時より赤フン、赤ベベ、メーキャップスタイル開始。
98年、スイング・ジャーナル誌人気投票・トランペット部門で第15位。ヨーロッパツアーにてドイツ・メールスジャズ・フェスティバル参加(渋さ知らズオーケストラにも飛び入り)。またぺーター・ブロッズマンと共演ライブを行う。コペンハーゲン、ウィーン、ミラノ、バルセロナ、パリでストリートパフォーマンス。
2002年はフランスへ、03年にはニューヨークへツアー。
04年、庄田次郎“WADO”を結成。
05年、カナダにてモントリオールJazzFestivalをはさみ1ヶ月のツアー。
06年ニュージャズシンジケート32年目、伊豆下田でのスピリッツ・リジョイスコンサートが27回目を迎える(のべ参加者は500名をゆうに越える)。07年、おーらいレコードから「和童」をリリース。郷里下田~東京~世界へと益々縦横無尽に活躍中!
荒井康太 ARAI Kohta (Ds)
1985年東京都青ヶ島村生まれ。幼い頃から父の影響で青ヶ島の伝統太鼓である還住太鼓を叩いていた。その後ドラムに興味を持ち上京後ライブハウスなどで演奏活動を始める。19才の時に庄田次郎氏に出会いWADOを中心に活動を共にしている。
荒井智史 ARAI Satoshi (和太鼓)
1981年生まれ。伊豆諸島最南端の島、青ヶ島出身。7歳より地元の郷土芸能・還住太鼓を叩いて育つ。19歳のとき太鼓奏者として生きることを決意し和太鼓による演奏活動をはじめる。
現在は自己の音楽PROJECT
~Aleatoric~としてソロやゲストを迎えたライブ、
即興セッション「Aleatoric Improvisation Night♪」を主催。2004年に庄田次郎氏と出会い、庄田次郎“WADO”に結成より参加し活動を共にしている。
Janmah JANMAH (Gt,Ba,ホーメイ)
全くの独学でGuitarを弾き音楽と係わる。27才の時アメリカへ3ヶ月滞在。ブルースとは?と自分のこだわりを探す。帰国後、日本のBLUES MANの前座などを経験。後に自己のBANDを率い渋谷CROCODILEなどで演奏。殆どの楽器を使いORIGINAL SONGなどを作り独自の活動も続けている。また、WADOのMEMBER荒井兄弟と共にtrioで演奏するなどの活動も行っている。
本田祥康 HONDA Yoshiyasu (Gt)
1982年下関生まれ伊賀育ち。神戸の学校を卒業後上京、六本木の闇に消える。ジャズ、フリーインプロビゼーションを中心に活動を再開。ギターを加藤崇之氏に師事。
◆ライナーノート
わたしが親方・庄田次郎と出会ったのは、仲間のひとりが「とにかくすごいひとがいるぞ!」と言っているのを聞いて、親方が毎月都内で開催しているFreeSessionに参加したときだ、2004年の冬だったとおもう。初めて一緒に演奏したとき、今まで1度もかいたことのない類の冷や汗をドッーと流しながら何もできなかったことをよく覚えている。終演後、駅の通路脇に座り込んで例のペットボトル入り焼酎をのみながら終電が来るまでたくさんの話をしてくれた。ときおり差し込んでくる冷たい風もまったく気にならない、熱い夜だった。あのときの冷や汗と熱い時間は“WADO”として演奏するいまも続いている。
“WADO”は親方が郷里・下田で和太鼓を叩く仲間と出会って、その日本的な響きの内にFreeJazz魂を揺さぶられる何かを感じて2004年に結成したグループだ。自身の年齢的な円熟と、ヨーロッパ・アメリカ中南米まで世界中を吹き歩いた経験とが、ちょうど太鼓の響きに触れたことで、親方の中で自分のふるさと“日本”に何かを残そうというおもいを生んだのかもしれない。
わたしは親方がそういう活動を開始しようとしていたちょうどそのときに、太鼓を担いでひょっこり現われたことになる、音楽が結ぶ縁というのは本当に不思議だ。
WADOのメンバーを紹介しよう。ドラムの弟・荒井康太、彼ほどまっすぐな瞳をもったひとをわたしは知らない。素晴らしい観察眼と反応、リズムの強靭さとセンスは並々なるものがある。とにかくクールなやつだ。コウタはわたしと一緒に2005年5月の「黒船祭」からWADOに参加した。
終始驚異的な音を発し続けているギターの本田祥康、彼にはいつも世の中にはこんなに才能を持ったやつがいるのかと驚嘆させられる。独特のキャッチーさを秘めた音色と柔軟なプレイ、彼の機才ぶりにはいつも感激する。「ぜひ一緒に演りたいやつがいるから」と親方に言って、昨年・夏の佐渡島ツアーからWADOに参加してもらった。本田くんはあの加藤崇之氏の愛弟子でもある。
もうひとりのギターJanmahはブルーズ~プログレまでを弾きこなしてしまう驚愕のギタースキルに加え、巻上公一氏のもとでホーメイまで習得してしまった、表現に貪欲に立ち向かっている素晴らしい先輩だ。彼の親方との縁は古く、今はなき新宿の「ぴあ」というお店で親方が毎月セッションを開催していたとき、日にち違いでブルースのセッションマスターをしていた。そのときは一緒に演奏する機会はなかったそうだが、「あのとき会っていたらどうだったか?!」とよく話して笑っている。WADOへは本田くんと同じく昨年の佐渡島ツアーから参加してもらった。
また今回の一連のWADO作品では、録音からミックス・マスタリングまでの殆どの作業をJanmahさんが担当し完成させてくれた(4曲目「ふるさと」はJanmah・MIXなしには完成しなかった、歌をうたってくれた奥方SHINOBUさんにも感謝)。太鼓という非常に録音の難しい楽器があったにも関わらず、これだけの音質を確保して作品にできたのは彼の手腕によるところだ。
さてさて、この庄田次郎“WADO”というグループ、今後どういった展開をみせるのか、当事者のわたしにも全くの不明だ...。しかし、この盤をぜひ聴いていただきたい、この作品には光の射すほうへ舵をきった庄田次郎“WADO”のまさに「明」の部分がつまっている。
最後に親方のいつもの一言を…「人生は即興だ!オーライっ!」
荒井智史 太鼓奏者
発売日 2007/09/17