No.003 交感/斎藤徹、ミシェル・ドネダ
Koh-Kan
1 風の道11:39
2 風の彩9:34
3 風の祈5:46
4 風の歓19:19
5 風の交 18:37
total 63:75
1999年11月3日/星誕音楽堂にてライブレコーディング
マスタリング:1999年12月9日/東急文化村スタジオ
・・・・・星誕音楽堂と本作のいきさつなど・・・・
星誕音楽堂との関係は、ほんの一年余りなのに、とても長い気がする。ソロ(ゲスト:ザイ・クーニン)、久田舜一郎さん(小鼓)とのDUO、井野信義さん(ベース)とのDUO(ゲスト:ザイ・クーニン)、そして今回のミッシェル・ドネダさんとのDUOで演奏させていただいた。久田さんとの時、すさまじい集中力で世にも異様な空間になったこと、井野さんとの時は、まるで漫才をやっているようなリラックスした雰囲気になったこと、どれも思い出に残ることばかりだ。音響の良さも指折りで、余計なこと無しに充分演奏に集中できる。演奏後、聴きに来てくださった方々とゆっくり話のできる場があるので、いろいろな交流ができる。またアンコールの後に、恒例として、ナントみんなで合唱するのだ!私がやったのは、「出船」「さくら」「シャボン玉」そして今回の「赤トンボ」(ミッシェルも吹いた!)こんな事ができる場はざらにはない。だいたいこの種のことは私のような者にとって、結構チャレンジングな事なのだ。かなりのうるさがたの演奏家もこの倣いに従っていると聞くと、「ナルホド」を通り越して「驚き」かもしれない。2時間近く必死で演奏した後の、こういう「合唱」は「自己表現」の空しさを教えてくれる。もし、つつがなく出来たとしたら、その日の演奏が、自己表現を超えた「良い演奏」だったハズだ。
このライブ前日、来るべき過酷な演奏に備え、弓2本の毛を張り替えてもらってから、車で東京を出発。様々な課題を抱えた3週間の長旅だ、是非成功したい!そして、答えの糸口を見つけたい!長時間ドライブに飽きてくるとレオ・フェレやジャック・ブレルをCDに合わせ、がなったりして夜遅く交野市の宿舎に到着。 翌朝「放蕩息子が変な外人(?)を連れて帰ってきました。またまたよろしくお願いしま~す。」と奥田ご夫妻にご挨拶。いつものように、生けてある花、飾ってある絵など細心の心配りがある。ホールは木の温もりがあり、直線がほとんど無い。最高級の音響にミッシェルもご機嫌だ。朝、宿舎の裏山に登り、喜びの余りこけて腕に擦り傷を負った自然児ミッシェルはこういう自然あふれた暖かい空間が大好きだ。フランスでも都会を避けかなりの田舎に畑を耕しつつ住んでいる。
昼過ぎのコンサートではいつも閉めるカーテンも開けっ放しにする。とりあえず記録用にDATをセットすると(これがこのCDの音源)アッという間に演奏時間。二階のバルコニーまで満席だ。インターネットを通じて、岡山・姫路・神戸からも有名な(?)即興ファンが来ている。初めてインプロを聴く人のために、あらかじめプログラム風のものを書いておいたのだが読んでもらっているだろうか?受け入れられるだろうか?心配も山積だ。ともかく始まった。こうなれば誠心誠意やるっきゃない。
このCDには、この日の演奏から、2人のソロ、アンコール、例の「赤トンボ」を除いて収録。 実際は1曲目にやったものを5曲目に置いた他は順序も同じ。すべて即興です。1. 風の道:ベースを打楽器として使った奏法で開始、様々なプリペアードを施し、終わりのほうでは、今年3月、福岡アジア美術館のオープニングの演奏で使ったハーモニウムの原型のようなインドの楽器(ザイからのプレゼント)を使っている。途中のリズムはオンモリやクッコリなど韓国のシャーマン系のものを使っている。2. 風の彩:2人にしてはかなり「普通」の奏法で始まるが、目まぐるしく変わる展開で色彩感とその変化がでている。3. 風の祈:私は、フルリムという珍島のリズムをチン(銅鑼)で演奏、ミッシェルはまるで韓国のピリかホジョクのように吹いている。95年のヨーロッパツアーの際、私はミッシェルに金石出さん作のホジョクをプレゼントした。ミッシェルは私同様、金石出さんを深く尊敬している。4. 風の歓:ベースはピッチカート(指弾き)やアルコ(弓弾き)だけでなく様々な弾き方をした。ゴリゴリという音は、今聴くと、ミッシェルと一緒に聴いた胎内音のレコードに似ている気がする。その他の展開にしても何だか解放されて、いろいろな所へ行った感じだ。5. 風の交:あまり特殊奏法は使わずに弾き・吹ききった演奏、後半に2人の音が完全に重なった部分があり、演奏中もドキドキしたのを思い出す。
翌日、宿舎を出るまぎわに奥田さんより電話が入り、まだまだ話したいというので、喫茶店で再会、談笑。我々は久々のオフ日だったので、お二人の薦めで軽く京都観光、「寄ってみたら」と言われた画廊へ行き、加島祥造展を観る。ご本人ともお会いし豊かな時間を過ごした。(ご子息とは前からの知り合いで、前作の「往来」では録音技師をしてくれたし、このコンサートも聴いてもらっている。)奥田さんと加島祥造さんもこの夏からの関係が続き、コンサート当日、エントランスのメインに加島さんの書付きの絵が飾ってあったのだ。そんなこんなの因縁でこのCDジャケットの題字を書いて下さることになった。「交感」という言葉も、奥田さんが加島さんの著書の中から見つけタイトルとして選んでくれたものだ。京都の帰りに車を取りに音楽堂へ行くと、ご主人が最近の作品を見せてくださった。この絵をジャケットにCDができたらな~、なんて軽く冗談で言っていたのが、ナントこんなに早く実現してしまった。いやはや全くいろいろな物事が「交感」してこのCDが出来上がったのだ。
この先、世界中の様々な時と場所でこのCDを通じて更なる交感が起こることを真に期待しています。ありがとう、星誕音楽堂、ますますのご発展を。ありがとう、聴きに来てくれた人達、そして、繋いでくれた野口芳彦さん、清水紹音さん、ありがとう。
1999年12月9日 斎藤 徹
インプロヴィゼーションにおいては、いかなる音も取り押さえておくことはできない。音は常に奪い去られてゆく-まさにその音が生み出す喧騒のなかに私達は身を置いているというのに。演奏の前後には私達にあれほど問いかけてくる「インプロヴァイズする」という概念さえも、インプロヴァイズしている間は完全に遠ざかり、やがて、ある名づけ得ぬ空白となる。その空白によって、その空白のために、その空白のなかで、私達の生物学的混沌が活性化するのだ。
ミシェル・ドネダ